福島第一原発の心配事が無ければ、全て上手く行くように感じられる。
一年前、いや3ヶ月前がひどく懐かしい。
あれはあれで、今よりもずっとずっとずっと幸せだった。
明日が今日より良い日などと、もう夢見る事は出来ない。
 
ドイツもスイスも福島第一原発事故、その後の経過等を考えて
脱原発に進んでいると言うのに、
張本人の日本がまだまだ原発を続ける意向でいる。
その上、まだ、放射能漏れを出している...。
全く納得できない。
 
もう少し、国民と目を合わせる事が出来る首相がほしい。
菅は人と話す時に、目をそらしている場面ばかり見るが、
やはり性格もおかしい!
首相が変わらない限り、何も望みが持てないのは私だけか?
 
誰でもいいから、菅以外ならだれでもいいから、
替わってほしい。我慢出来ない!!
 
 
どうせいつかは首相を辞める事になるのだから、
最後は花で飾ろうと何故思わないか?。勝負しろ!反省しろ!
 
国民はどうして、もっと強く原発反対しないのか、
音頭を取ってくれている人が居るのだから、
それに乗ってでも反対するべきだと思うが。
 
原発反対する人々もたくさんいるのだから、
孫社長だっているし、心の中では原発反対が今は普通だと思う。
 
10年20年後の日本の人々は一体どうなっているのか?
60歳過ぎた人は多分大丈夫、それよりも若い人の事を考えなくては。
 
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下のニュースを読んで泣いた。
違う場所で同じ様な土地を手に入れられる金はない、
家を借りる金などもない。
 
私も、もう若くないし、 いつまで続くか分からない避難生活には、
精神的に耐えられない歳になっている
 
でもまだ自分の事は自分で出来るから、きっと同じ様にすると思う。
土地が好きだから、土いじりが好きだから、離れられない。
 
 
東京電力福島第1原発の事故で計画的避難区域に指定された福島県飯舘村などは31日、政府が示した避難完了の日を迎えた。
 全村避難を求められた同村では住民6177人の2割以上にあたる1427人がまだ行き先を決められなかったり古里を離れられずにいる。
 「他に行くとこなんかねえ。おれはここの土になっから」
 村内で特に高い放射線量が観測された比曽地区では菅野初雄さん(73)が妻紀子さん(70)と母ルイさん(93)の3人で代々続いてきた田畑を守っていくことを決めた。
 「木の若芽で山が薄緑になったら、稲さ植える準備だ。カッコウ鳥は鳴いて、大豆の種をまいていいよ、って教えてくれっから」
 比曽地区は、古くから農業に支えられてきた。いつ何をするかは、自然が知らせてくれる。
 第1原発2号機で爆発音がした3月15日。自宅裏の木小屋を修繕していると、原発のある南東から風が吹いてきた。翌日、なごり雪が積もった。春の訪れを待ちわびる村に降り注いだのは、色もにおいも感じない放射性物質だった。
 1カ月が過ぎた4月下旬。テレビのニュースで、村が計画的避難区域に指定されたことを知った。妻紀子さんは「なんで今ごろ」と首をかしげた。家族がそろった夕食時、菅野さんは「ここは放射能が高いから、体に悪いんだと」と切り出した。母ルイさんがつぶやいた。「出ていくのはやんだ」
 間もなく役場から避難希望調査が来た。高齢で足が弱い母は、たぶん避難生活に耐えられない。アンケート用紙に「出ていかない」と書いた。しかし、若い世代への放射能の影響は心配だ。おじいちゃん子の孫たちと離れるのはつらいが、息子夫婦と孫2人には避難するよう促した。
 5月末、にぎやかだった食卓は急に静かになった。ルイさんはひ孫たちとの暮らしを思い出しては、涙ぐんでいる。
 村で一番標高が高い比曽地区は、真夏でも気温が10度を下回ることがある。
家族で土にまみれた半世紀、冷害で何度もの凶作に見舞われた。
そのたびに立ち上がれたのは「次がある」と思えたからだった。
 今回は、次に田植えをできるのがいつになるのかも分からない。それでも菅野さんは農機具の手入れを欠かさない。
 「ずっと働いてきたんだ、なあに、ちょっとした骨休めさ」
【山本将克、三上健太郎、山本将克】